ゆうれい船の話
(2003年5月17日記)

ワッチ(当直)は五感でしろとよく言われる。
このワッチは航海士の主たる仕事であり、一番重要なものであるのだ。
さて、読者の中には、ワッチとは何だろうと思っている人も少なくないだろう。
最初にこのワッチ(当直)について説明することにしよう。
ワッチすなわち当直とは、一般に航海当直を指すのだが、船の場合1日を6つに区分し4時間毎に3人の航海士(一・二・三等航海士)が航海中、ブリッジ(船橋:操舵室)で船を安全に動かすために見張りをしたり、位置を確認したり、船が来たら安全にかわしたりすることを言うのだ。

別項参照→「船の仕事ダイジェスト」

さあ、本題に入ろう。1986年頃の話だ。当時私は二等航海士で、ペルシャ湾航路の大型タンカーに乗り、昼間の12時から16時、夜中の0時から4時までがいわゆる当直であった。真夜中に当直に入るので「ドロボウ・ワッチ」などと呼ばれる。当直は必ず、航海士と甲板手(操舵手ともいう)が2人1組になって行う。真夜中のワッチは、広いブリッジに二人だけとなるので、ただでさえうす気味悪い。たまに人の悪い乗組員で寝付かれない輩が、おどかしに来たりするが、安閑に慣れている当直者の返り討ちに会ったりする。ブリッジからウイング(船橋外の羽のようになっているスペース。船側を見られるようになっている)に出ると、各種の航海計器の音もなくなり、ただただ船が波を切って走る音のみとなる。ワッチ中は時々ウイングに出て周囲を見張るのも大切な仕事だ。冒頭に言ったように、航海士は五感すなわち視覚、聴覚、嗅覚、触覚、はたまた味覚までも駆使してワッチをしなくてはならない。そこで時々風にあたり、周囲の空気を嗅ぐためにウイングに出るのだ。
夏の南シナ海、海面状態平穏、三日月も出ていて、そよ風が吹く心地のよい真夜中だった。
その日もいつものように23:45に昇橋し、三等航海士とワッチ交代をし、その後甲板手のいれてくれた熱いお茶を飲む。南シナ海も中央部を航行中は、ほとんど出会う船もなくのんびりとしている。ゆったりした気持ちでワッチができる。
そんな時だ。
なにげなく前方を見ていると、船首マストの近くに何かが見えたような気がした。いわゆる気がしたのだ。めがね(望遠鏡)で見てみるが、何も見えない。レーダーで見るが何も見えない。気のせいかなと思った。一応相棒の甲板手にも「何か見えないか」と問うがやはり何も見えないと答えが返って来る。まあ念には念をと、めがねでもう一度船首マスト付近をのぞく・・・
背筋がぞくっとし、髪の毛が逆立つ!
「う、うわぁ〜。ふ、ふ・ね・だ〜」と思わず叫んでしまった。
木造で長さ100mくらいのボロボロの漁船らしきものが本船の正面至近距離にいるのだ。
「ハード・スターボード(操舵用語で「右舵一杯」)」を即座にオーダーし、船を右へ回頭させようとする。しかし船は長さ350mある大型タンカーだ。なかなか曲がらない。舵を右に切ったにもかかわらず、数十秒は確実に直進するのだ。この数十秒間の何と、もどかしいことか!もう件の船は、船首に隠れてしまい見えない!後は運を天に任せるのみ。そうこうしているうちに、本船の左舷側に薄黒い物体が姿を現した。
木造の百数十トンと思われるその船は、マストも折れて、船体のあちこちに穴があき、今にも沈みそうだ。ただただ波間をただよう幽霊船のようだった。
興奮はなかなか醒めやらない。本当に幽霊が出てきて手を振り「おいでおいで」をしそうな船なのだ。ようやく本船の真横を通過。針路を元に戻すように甲板手に言い、やっと一息ついた。
このような幽霊船いや漂流船は、この頃南シナ海でたくさん見た。これらのほとんどは、当時のベトナム政権に嫌気がさし、死を覚悟で脱出したベトナム人が乗った船の残骸だったのだ。いわゆるボートピープルを乗せた船のなれの果てだったのだ。

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