八王子山での教訓

(1997年11月14日(金)山行実施)

(1999年1月15日記)

 

 私は東京の西のはずれ、八王子市に生まれ、そこで育ち、現在もそこに住んでいる。東京都とは言ってもお隣は神奈川、山梨の両県と県境に位置する。関東平野の西端にあり、夏蒸し暑く、冬場は戸外にあるバケツの水が凍るくらい寒さが厳しい。都心との気温差は常に4〜5度Cはあると通勤時に感じる。気候は厳しいが、散歩のついでに高尾山(標高599m、明治の森高尾国定公園)に登ることもできるし、自宅裏の川では、鮒釣りを楽しむこともできる。こんな風光明媚な八王子が私は好きだ。

私も世のサラリーマン故、平日は帰宅が遅く、土日、特に土曜日は、昼近くまでだらりと寝ていることが多い。山に登るようになって久しいが、のんびり横になりながら、山のガイドブックを眺め、次の山行きをあれこれ思い浮かべるのが楽しみの一つとなっている。空想の世界で、自身はかなり健脚な登山家になっていたりして、そういう自分を見つけると思わず笑ってしまう。

ある週末、関西方面の出張が決まり、仕事の後時間的余裕ができる予想が出たので、関西関係の山のガイドブックをぱらぱらとめくり、どの山を登ろうか探していた。何気なく眺めていた本の中に「八王子山」という文字を見つけた時、私は思わず「これは絶対登らなくちゃ」と心に叫んでしまった。

私の愛する八王子、その名と同じ山が、滋賀県大津市にあるのだ。その昔(西暦916年)に、ある高僧が八人の王子を祀り、八王子権現と称したところから、「八王子市」の名が付けられたと伝えられている。大津市の八王子山には必ず登る、私はそう自身に言い聞かせた。

11月のとある平日、関西出張の帰り有給休暇を取り、八王子山に登ることとなった。琵琶湖西岸JR湖西線比叡山坂本駅で下車。ガイドブックの写真にあった八王子山がそのこんもりとした山容を見せてくれる中、一般道を歩く。15分もすると登山口の日吉大社の境内に着く。あいにく小雨が降りだして来た。この神社は相当大きな敷地で、どこから山に取り付くものなのか全く分からない。神社の入り口に土産物屋があったので、そこのおばちゃんに尋ねてみた。「おにいちゃん、この雨の中、八王子山へ登るんでっか?」といきなり言われる。確かにしとしと雨が降り始め、おまけに11月半ばで気温も下がっている。しかし私は、わざわざ八王子よりこの八王子山に登るために来たのだ。小雨位で中止には出来ない。その旨おばちゃんに言うと「そうかいな。わざわざご苦労様です」とねぎらわれた。この日吉大社はかなり大規模な神社である。社内の人に聞かないとなかなか登山口はわからないだろう。

ともかく北方向の石段を見つけ、登り始める。道は登山道というより、林道のようだ。4・5人が横に並んでも歩ける位の幅の道が続く。雨はかなり激しくなってきた。ゴアテックスのインナー入りの登山靴は快適だ。これだけの雨の中、雨水が浸みてくることもない。ゴアテックスの合羽も持参したが、合羽については横殴りの強烈な雨以外は着用せず、傘をさして登った方が快適なのは経験でわかる。気持ちよく、ゆっくり登って若干汗をかいたかなと感じた頃、金巌石(こがねいし)と呼ばれる大きな岩座(いわくら)にたどり着いた。登山口から30分である。西から南方面の視界が開けている。天気が良ければ琵琶湖が一望でき、展望台としてこの岩座も大勢の人が詣でていることだろう。そんなことを一人考え、物想いにふける。金巌石の両側には、八王子宮(牛尾宮とも言われている)と三宮宮の2つのりっぱな社殿が鎮座している。ガイドブックによれば「社殿の南側にピークを巻くように、道はつけられている」とある。地図を見てもその通り巻き道となっていて、八王子山山頂への道はないようだ。しかしここまで来て、山頂を踏まないというのも残念だ。ぜひ山頂を極めたい。社殿の周りを散策していたところ社殿裏から山頂へ延びていく道を見つけたので、とにかく登って行くことにする。最初は道であったものが、踏み跡程度となり、いよいよ山頂近くなったところで、なだらかになり、踏み跡すら無くなってしまった。ここらが山頂だろうと感じる位、八王子山山頂(381m)はのっぺりとしてだだっ広い。山頂らしいところに赤いテープが木の枝に巻いてあったので、たぶんここが山頂なのだろう。指導標などはもちろんない。山頂は木々で全周を覆われていて展望は全くない。社殿から山頂まで約10分というところか。テルモスから熱い湯を出し、紅茶を飲む。高い山だろうが低い山だろうが、やはり頂上でくつろぐひとときは格別だ。雨が降り続ける中、一人森の中で、お茶を飲むのも酔狂である。

さて、ひとしきり休んだ後で下山にかかる。それにしてもこの山頂は、森の中にいるようで、平らである。木々は余りにも特徴なく林立しているので、もしコンパスがなかったら、方向感覚を失ってしまうだろう。過去にも雪山の雪原で5m先が見えない吹雪に襲われ、往生したことがあった。現在位置を確認し、コンパスで方位を見定め目的地を目指すのは、どの山でもいっしょだなとつくづく思い知らされる。

 コンパスはいつも2・3個持って山に登る習慣がついているので、今回も不安はほとんどないが、やはり緊張はする。地図を見れば、山頂より南もしくは南西方向に下って行けば必ず巻き道に出る。そう思い思い道無き道をともかく下山する。10分弱で予想通り巻き道に到着、八王子宮まで引き返す。ここで昼食休憩をとる。社殿の軒がちょうど良い雨宿り場所になる。

雪山に登るようになって、周りの者が皆アマチュア無線を持っているのを見て、私自身も免許を取った。以後山に登る毎に、CQ(不特定多数の無線局と交信するときに使用する符号)を出し、いろいろな人々と交信し、互いに交信証(QSLカードという)を交換するという趣味が一つ増えた。今回は関西出張帰りの平日であり、小さなトランシーバ一つで、どのくらい交信できるか不安があるが、とりあえずCQを出す。しばらく応答はない。平日の昼間、無線を聞いている人もいないか?とも思いながらも、CQを出し続ける。20分程したところで、名神高速道路草津PAに止まっている自動車の中のTさんから応答があった。ありがたい。しかし交信証の交換はしていないとのことで残念である。心を取り直して、CQを出し続ける。また20分経過。非常に強力な信号を受信する。琵琶湖対岸守山市のYさんが自宅から応答してくれた。寒々とした小雨の降る中、一人山中の神社の軒からタバコの箱大のトランシーバで、約10km離れた人と話ができる。これがアマチュア無線の楽しさだ。Yさんは交信証も交換してくれるという。八王子山登山の良い記念になると思う。その後40〜50分程、電波を出していたが、答えてくれる無線局はなく、Yさんとの交信が唯一の交信証となり非常に貴重なものとなった。人気のない山奧で、遠く離れた人と情報を共有できることは、非常に心強いし、楽しいことだ。

 社殿より15分足らずで日吉大社に戻って来た。社務所に立ち寄り、八王子山の由来について尋ねると、非常に丁重に応対してくれて、由来の書いてある文書のコピーまでいただいた。「金巌石の傍らに、(神様が)八人の皇子を引率して天降る故に、八王子と云う」と文書(伊勢参宮名所園會拾遺649頁)にあった。何やら、大津市と八王子市の距離が一挙に縮まった感がある。時間があったら、この二つの地名を掘り下げて研究したいものだ。

 下山したら雨が上がってきた。どうも私は山の神様にはいつも見放されているように思う。そこで私は、最近山で運のないことに出会った時、見放されていると見るより、試練を与えてくれているのだと考えるようにしている。

私の手帳に刻まれたこの日のメモは、当時の山行を現在によみがえらせてくれる。コンパスの大切さ、単独行時に無線交信をする楽しさ、そして八王子という名の不思議さを与えてくれた「八王子山登山」は、私にとって非常に思い出深いものとなっている。

 

 趣味の山の話へ戻る

 トップページへ戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送